管理人が不思議な縁から秋満先生から習い伝えることの出来た宮本伊織傳二天一流は現傳の二天一流の中では極めて珍しい技術傳であり、本当に独特の趣をもつ。俊速を重んじた激しき実戦二刀剣法である。これは真に貴重な文化財であると信んじるが、しかし唯一残念な事は歴史的な部分の解明が余りなされておらず、宮本伊織が伝えたと言われながらも以降の傳系がいま一つ判然としなかった。しかし小倉藩の武芸資料を蒐集して歴史を探究され、研究書を纏められた宇津宮泰長先生が同流の武蔵からの傳系を発掘されて著作に発表されている。
平成十一年に発行された『小倉藩文武学制沿革誌』の中にて古資料から小倉藩にて傳流した二天流の傳系を解明され、同書に発表された。傳系は記録では次のようになっている。
元祖 宮本武蔵
二代 青木 常次左衛門 家義
三代 吉岡 右近将監 賢秀
四代 松井 佐渡守 義正
五代 松井 伊織 義国
六代 竹林 岩次郎 斐章
(豊津藩校 育徳館 副教導師 二百石)
七代 上村 貫次郎
(豊津藩校 育徳館 教導師助)
豊津藩とは小倉藩が幕末に長州との戦火の影響で藩庁を豊津に移し豊津藩を名乗ったもので小倉藩の後身である。
最後の上村貫次郎こそが管理人の師である秋満紫光先生の師匠である。と言うことは管理人は武蔵から数えて九代目の伝承者と言う事になる。
同書によると上村師範は明治以降活躍された天才剣士であり、竹村岩次郎の高弟として宮中済寧館の天覧試合に出場し、後に選ばれて済寧館剣師に選ばれ、皇居警察の陸軍将兵に剣道を指導されたと言う。
大正15年8月3日84歳にて逝去されたと言うことである。
さて伝えられたこの傳系図であるが、流儀の継承者としては流儀の伝えその儘を受けるのみである。
ただ地域的にも武蔵の周辺の師範たちが同地に伝えた同流の末派であったのだろうかと思われる。傳系には青木鉄人や長岡佐渡、また伝承通りに宮本伊織などの人脈の名称が断片的にも微妙に現れている興味深い傳系図であると感じられる。
松井伊織と宮本伊織との関係がかなり微妙である。同一人物かそれとも全くの別人か、それとも実在の伊織を投影した人脈であるのか……? ともかくこの様な人脈は勿論、流儀の沿革口伝承を含めて同流が宮本伊織傳とされてきたのだろう。
確かに名前、年代、諱などに若干の誤謬が有るようにも感じられるが継承者としては先代の伝承をその儘率直に仰ぎ、頂く立場である。
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