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名鐔師「信家」の秘密 その15 「サインの相違」 前回まで、宮本武蔵と金家鐔との文化的関連から両者の繋がりを考察してきた。両者が繋がれば武蔵系の兵法者、荒木信家と名鐔師「信家」も何とか細糸で繋がる可能性が出てくるわけである……。いや、そんな状況証拠を如何に積み重ねても逮捕状を取ることは極めて難しい。科捜研による物的証拠の分析はどうなっているいるんだとの批判もあるだろう。如何にもしかりであり、両者の同一人説を称えるならばそれぞれのDNA鑑定をなすのが筋だろう。しかしながら金家鐔に関しては多くの遺品が残っているが、兵法家青木鉄人金家にダイレクトに繋がる資料は現存していないのである。世に存在しないとは思われないないが、残念ながら現在行方不詳の物も含めて現時点で研究者の手の届く現物は皆無である。よってこそダイレクトなる現物分析ではなく、様々な状況証拠の積み重ねが成されてきたのである。すべては四百年も昔の話であり、何とも致し方ないことである……。 「ちょっと待て、金家の事はともかく、確か荒木信家なる者は直筆傳書が残っていると言っていたのではないか」との声が此処で上がるかも知れない。しかりであり、確かに荒木信家の直筆傳書と思われる資料が筆者の知る限り二巻残っている。両者とも信家のサインと花押までがあるのであり、ここまでの物的証拠があるならば信家鐔の真作の銘との筆跡鑑定を科捜研に依頼すればよいはずである……。 真にしかりであるが、しかし故にこそ筆者の研究は本論の最初に既に述べたように、此処で実際的に座礁してしまったのである。つまり両者の筆跡は残念ながら余り一致せず、どうも同一人の筆跡とは思われないのである。と云う事はこれまでの考証(空想)も全く意味なく、筆者の思い込みに過ぎないと云う事になる。かく結果がでた以上は筆者も速やかに身を引かざるを得なくなる。事実、以後この問題に関しては特に論述することは何年かは全くなかったのである。ただ勿論「荒木信家と鐔師信家同一人説」が否であろうと「青木鉄人金家と鐔師金家同一人説」が同時に否定されるわけではない。金家説における上森先生の考証は一つの業績としてこれらも生き続けるわけである。 それはともかく、実は信家問題も筆跡が違う以上、別人として捉えなければならないとは思ったが、心に未練が残った事も事実である。筆跡の相違と云う決定的な分析結果が出ているのに未練もくそもないだろうと文句を言われるかも知れないのだが、しかし筆跡問題と云うものは中々に微妙で、そして奥深いものがある事を知らねばならない。とはいえ筆跡の一致による証明が出来ない以上は筆者も空想奇説を称えることは常識的に控えなければならないわけである……。 しかし結論が出た以後も上森先生からは、紙に書く筆跡と工芸品に彫られた銘とは相違がある事が結構ある事の指摘と実際の例における資料などを頂いた。これは長年多くの本物をみて研究されてこられた上森先生のご意見として確かに重いものを感じるのである。筆者は刀剣鑑定は素人であるが、武術傳書研究は専門であり、多くの本物をみてきたし超一級の極秘資料も実際に分析してきた。そのような立場でいえば確かに筆跡問題と云う事は極めて難儀な諸点を含む事は体験してきた事である。筆跡鑑定学と云うものもあろうかと思うが、そもそも筆跡と云うものは同一人であろうと書いた年齢や文書の格と種類によって「手」が違う事も大いにあるのではないかと考えられる。真行草と崩し方にも色々な立場があるのであり、それらを同一視する事は出来ないだろう。そしてそもそも紙の墨跡と鉄地への刻み銘を同一視する事はそもそも可笑しいと云う捉え方もできないわけでない。しかし……。次回はこの問題をいま少し考えてみよう。 [続]
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