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日本伝二刀剣術の歴史

変則剣法
日本刀は我が国固有の特殊な形態の刀剣であり、その使用法は独特で、少し長めの柄を両手に掴んで操作すると言う所に特徴がある。それが他国の刀剣術の追従を決して許さぬ真に高度なる剣術技法文化が醸成された由因であると言えるだろう。よって日本剣術は当然の事ながら一刀遣いが基本となるわけであるが、その様な既成概念を超越した特殊な型破り剣術流儀が江戸初期に登場した。
天下の剣豪、宮本武蔵が遺伝した二刀剣法流儀である。この系統は何と大小の刀を左右に携えて攻防を行う二刀遣いを本体とするのである。
しかしながら日本刀と言うものは本来一本の刀を諸手にて保持し攻防自在に用いる所に大きな特長と利点があるはずであり、大小二刀を同時に用いると言う変則剣法には果してどの程度の戦闘力があるのだろうか? そもそも現代剣道においても一刀遣いが主体であり、二刀遣いの実戦性を疑問視する向きも無きにしも有らずである。しかし……。

恐るべき実戦性
しかしながらその真実を端的に述べれば、二刀剣法は強大な戦闘能力を秘めたる真に恐るべき魔剣だと言う事なのである。その点において、二刀遣いの名人、武蔵は六十余度に及ぶ真剣勝負において生涯不敗を誇り、二刀剣法の驚異の実戦性を江戸初期の段階において証明したわけである。
その輝かしい戦歴を通じて二刀剣法の法外なる強さは全国に喧伝され、各地の剣豪を畏怖せしめ、また憧憬の的ともなった。かくして武蔵剣法は播州や尾張、肥後や熊本など日本各地に残り、以後も多くの強豪を輩出した事が歴史に現れている。
例えば武蔵流系二刀剣術の達人、由井正雪は正雪流を名乗り二刀遣いの恐るべき兵法家として天下を震撼させたし、武蔵の青年期の技法を継承したと言われる鉄人実手流の強豪、牟田文四郎は江戸後期に全国を武者修業し、各地の強豪を二刀剣法でなぎ倒し、江戸の剣豪、千葉英治郎をして畏怖させ、自ら試合を避けせしめたと言われている。明治以降においても撃剣興行で名を馳せた剣豪、佐竹鑑柳斎も柳剛流の二刀遣いの名人であったし、武徳殿の試合で大活躍した奥村左源太師範も奥村二刀流を名乗り、自得した独特の二刀遣いでもって天下に鳴った。近年の剣道試合でも二刀遣いは少数ながらも中々に活躍しており、先年亡くなられた神免二刀流の達人、信州の故荒関二刀斎師範も二刀遣いで多くの剣道試合に臨み活躍されたのである。
二刀遣いは一刀遣いに実戦の面でも決して引けは取らず、場合と人によっては一刀剣法を遙かに凌駕できる可能性を秘めた日本刀操作メソッドにおけるいま一つの選択肢であり、また奥の手でもあったわけである。ただここで一つ注意しなければならないことは二刀遣いの技術は一刀剣法の発達線上にある進化体系ではなく、実を言えば技術的根源を異にした日本伝剣法文化におけるいま一つの技術体系であり、真に妖しい歴史を秘めた武術文化だと言う事なのである。
不思議な二刀剣法の奇怪なる歴史の扉を開き、その驚くべき源泉の秘密を探索して行こう。

戦国期の二刀剣法
前述した如く確かに二刀遣いは宮本武蔵が伝承した二刀剣法を代表として江戸期に隆盛したが、大小両刀を同時に用いる二刀遣いのアイデアは武蔵が最初に発明した実用新案特許剣法では決してないと言う事を先ずは捉えて置かねばならない。武蔵は二刀遣いの名手であり、いと優れた技術伝と流儀を残したが、武蔵剣法の原形となった宮本家古伝剣法の中に優れた二刀剣法が既に存在しており、武蔵はその家伝剣法を継承、発展させたに過ぎないと言う事なのである。
そもそも大小両刀を同時に用いる二刀剣法は大小を束さみ始めた戦国室町期頃から既にその発想は存在していたに違いない。戦国期を逆上る古い流儀である神道流系にも二刀剣法は一刀剣法の別伝として伝承されていたし、慶長年間の疋田派新陰流には明確に二刀剣法の絵図が存在している。また新当流の中にも二刀剣法に対する技法が存在しているわけであるから、これらの資料を見てゆくと戦国期において二刀剣法は既にかなり普遍的に行われていたのではないかと観察出来るわけである。

宮本家の十手剣法
戦国期における幾つかの剣術流儀は奥伝として僅かな本数の二刀剣法を伝承していたと見られるが、その様な中で二刀剣法における多彩にして真に高度な技法を醸成、保有したのが作州の宮本家であり、この兵法古家は大小刀を用いる二刀剣法に加え大刀と独特の十手器を同時に用いる十手剣術とも称すべき特殊な変形二刀剣法を伝承していた事が資料に現れている。実を言えばこのような変形二刀流は戦国期から江戸初期にかけてそれなりに多く行われていたとみられ、右にて大刀を遣い、左手にて扇子や軍配、又は木楯や陣笠などを保持して闘う技術が資料にかなり現れているのである。しかし実を言えばこのような戦闘スタイルの出現は戦国期所の騒ぎでは決してないのである……!!

片手剣法
大小両刀を用いた二刀流を含め、左右に別々の武器を保持して行う戦闘スタイルの技術的本質は所謂「片手遣い剣法」であり、その淵源は実の所極めて古く神代に逆上る真に驚くべき歴史と伝統があるのである。日本剣術の変遷を高い位置から俯瞰した場合、一刀遣いから二刀遣いへと進化したとは必ずしも言えないと言う事を前述しておいたが、歴史的な立場からは寧ろ逆に左右別遣いの片手剣術技法から一刀のみを遣う諸手剣術へと発展したと言う捉え方が出来るであろう。その二刀遣いの源泉となった神代剣法の本質をみてみよう。

神代剣法
先ず捉えて置かねばならないのは神代剣法の本質が片手遣いであると言う紛れもない事実である。日本の刀剣は片手柄剣から片手柄刀となり、そして鍛造法が発達して長い刀の製造が可能となって始めて諸手柄刀が登場し、それがやがて日本刀と言う独特の形態に発展したものでその源泉は剣も刀も片手遣いが基本であったわけである。そして片手にて刀剣を用い、残った手にて楯を用いて闘うと言う楯刀剣術が神代には多く行われたがこれは、古代世界において日本のみなず各国で行われた古伝中の古伝刀剣術であり、現在でも各国各地で楯武術として伝承されているものである。
時代が経てどう言う訳か日本にて冶金鍛造術が極端に発達し世界無比なる日本刀が完成し諸手柄一刀剣法の技術が発達した。しかしこの様な技術の進化と発達はともかくとして古伝の片手剣術技法も新興日本刀操作技法の底流として存在し、消失してしまった訳では決してなかった事に注意しなければならない。
と言うのは片手剣術は小太刀操作法の中に残ったし、また戦国時代に多く行われた馬上剣法は基本的に総て片手剣術であったわけである。そもそも日本の片手楯剣術には悠久の歴史があり、日本刀が完成し、諸手柄の操作法が確立した後でも大刀を右手にて用い、左手に扇子や楯を用いる左右別遣いの古伝剣法スタイルは諸手一刀剣法の別伝、奥伝として古い剣法流儀の中に遺伝したと見られるのである。

義経剣法
日本剣術は日本刀の形態が完成して新たな技術体系が形成されたが、古伝の片手遣いの技術が急に廃れた訳ではない事を述べた。即ち日本兵法の黎明期には両方の技術が併列して錬磨されたと見られるのである。そしてその様な古式兵法を完成させたのは日本伝兵法の始祖、源義経であったとの伝説もある。
義経兵法は完成された日本刀を用い、基本的には諸手一刀剣法を伝えたが、その奥伝として左手に扇子を用いて敵を幻惑する変形剣法をも伝承した事が伝話され後世の資料にはその実技が確かに現れているのである。これは正に神代剣法の片鱗であると言えるのであり、それが両刀を束さむ時代が来て大小両刀を用いる二刀剣法として昇華したのだと観察されるのである。

武蔵の二刀剣法
義経兵法における醸成は所詮は伝説に過ぎないが、後世に伝流する日本兵法の祖形が当時の鎌倉武将達の間で形成された事は間違いなく、源義経はその象徴的存在だったのだろと考察出来る。
ともあれその様な義経兵法を代表とする鎌倉期に醸成された日本伝兵法の形態は後世に多くの人脈を通じて伝承し、多くの流儀剣術が華開いていったが、実を言えば義経兵法の正統を継承した一系脈が宮本兵法古家であり、同家で古伝の片手剣法を発展させた二刀剣法が大いに錬磨され、宮本武蔵の代に二刀剣法を主体とする独特の二刀流剣術流儀の完成を見たのである。他系の多くの流儀でも別伝、奥伝として二刀剣法は伝承していたが、無数の真剣勝負の果てに二刀剣法の奥秘を極め、至高の二刀剣法術理を完成させたのが宮本武蔵と言う希代の剣豪だったと言えるのではあるまいか。
青年期の武蔵の兵法は宮本家古伝二刀剣法技術を殆どその儘伝承し、圓明一流として各地に継承されたが、中年期以降の武蔵は無数の実戦を経、腰間両刀に何度も紅化粧を行う内、単なる古典形、殺人剣法を超越した芸術の世界を指向し、その果てに遂に古典技法に囚わぬ、天地の真理を象徴したる真に妖しき二刀剣勢法「五方」を定め、二天一流と号したのである。

武蔵剣法
武蔵は戦国武士の生き残りであり、生涯を通じた真剣勝負と修行の果てに二刀剣法を本体とする不思議な流儀を完成し、また二刀兵法の深い術理と哲理を『兵道鏡』や『兵法三十五ヶ條』『五輪書』などを通じて後世に遺伝する事に成功した。
かくして武蔵の青年期の古伝二刀剣法技術は各地に伝承されたし、武蔵が晩年に到達した境地を纏めた二天一流兵法は肥後の地に連綿と伝えられ今日に及んでいる。
二天一流は武蔵最晩年の枯れた剣術極意を結晶したもので開祖の代から殆ど変革される事なく、その儘の形で今日まで継承されたのに比べ、武蔵の青年期の古伝二刀剣法技法は各地に伝えれ、多くの支流を産み、また各流に影響を与えつつ全国的に大きな広がりをみたのは興味深い事実である。

二刀剣法の広がり
武蔵の青年期は圓明一流を名乗り、優れた多くの門人を育て、ここから多くの二刀流剣法流儀が派生して行った。武蔵流を名乗った系統も多く、武蔵圓明流や鉄人実手流、時中流、二天二刀流、眼志流、未来知心流、正雪流などが生まれ、また他系剣法と統合し武蔵伝二刀剣法を自流の一部に取り入れた心形刀流、柳剛流といった流儀も出ている。
宮本武蔵を通さない宮本家古伝兵法の中の二刀剣法も當理流、無双流、無二流といった流名で各地に伝承し、そしてまた宮本家や武蔵兵法の系を直接は引かない別系古伝の二刀剣法を継承した系統もあったのである。かくして二刀剣法は江戸期においてそれなりの発展を遂げ各地で錬磨と研究がなされていた。ただ二刀剣法オンリーとして伝承した剣法流儀は基本的に武蔵伝兵法系の流儀のみであったようである。その意味でも宮本武蔵こそは日本伝二刀剣法の超大家であり、中興之祖であったと位置づける事が出来るだろう。

天地の真理
日本伝二刀剣法の歴史を概観してみたが、日本伝剣法の奥に伝わる二刀剣法の正体は神代剣法の根源極意を遺伝する真に妖しき驚きべき技術伝であった事になる。二刀剣法を振るう者は皆、神代の剣豪、素盞鳴尊や武甕槌命、フツヌシノミコトといった古代の剣豪たちの剣技と同泉同脈の根源極意を継承していたわけである。ただそれらの中でも希代の剣豪宮本武蔵が晩年に打ち立てた二天一流は過去世の極意伝を集結して簡素化し、究極芸術としての新たなる結実をみた独特の流儀であった。単なる技術伝と言うものは時代によって変遷するが集結された芸術世界であるからこそその古典芸能の世界がその儘の名称と形で今日まで遺伝したのだと言えるであろう。二刀剣法の技術は古代世界の古伝戦闘法の系を引くものでもあるのだから他国刀剣術の中にも類似のものがそれなりには存在するかも知れない。しかしながら単なる技法伝を超越し、天地の真理を象どって極意勢法を結晶化した武蔵伝二天一流兵法は他国刀剣術の中には見いだすことの出来ないかなり独自の趣をもつ真に不思議な流儀に仕上がっている。それは日本剣法が長い伝統の中で醸成した、日本が世界に誇る至高の精神文化の一つとしてこれからも連綿と継承されて行くことであろう事を予言して日本伝二刀剣法の歴史追求の筆を暫し置くこととしよう。

 

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