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「無双流四」

水田無右衛門
水田無右衛門は宮本無二之助の高弟と思われる。誰々が高弟かどうかと言う点においては、単に傳を受けたのみならず、その傳を次代に繋げたかどうかと言う事が一つの目安となる。その意味では水田無右衛門は伝書を残しており、それだけの能力者であったのだろう。
他にもあるのかも知れないが、取り敢えずは藤田文庫のものが知られている。
これは慶長八年(1603)に三宅勝介に発行された伝書で最後に「天下無双宮本無二助當理流我等一流令相傳者也」とあり、當理流の名前を残している。
この伝書は少し驚かなければならない事は前回取り上げた無二直筆の水田氏宛伝書と内容が全く違っていることである。これはどういう事かと言うと基本的には二つの考え方しかないだろう。
第一は水田氏が無二之助から伝承された當理流を再編成して全く違う造りにて流儀を継承した可能性。
第二は現存の無二之助直筆水田宛伝書とは違う別の伝授巻が存在し、この伝書はそれを継承した可能性である。

この二つのどちらが正しいかと言うと第二の方であると判定される。その証拠として宝山寺に蔵される當理流伝書の存在があるからである。これは慶長二年(1602)に奥田藤左衛門に発行された断片的資料である。断片的資料であるから内容は殆ど分からないが最後のところの真言と奥書が掲載されいる。ところがこの真言の部分は水田宛伝書にはなく、逆に水田無右衛門発行伝書にこそ真言が掲載されおり、内容的にも掲載位置においても全く同じなのである。と言う事はどういう事であるかといえば奥田伝書と水田無右衛門発行伝書は同質のものであり、やはり當理流にはいま一巻の伝書が存在したのである。

當理流の真の体系
断定的に論述することは宜しくないが、伝書比較から考えると當理流には二巻以上の伝授巻が存在し、その内容は水田宛伝書に現れているが、いま一巻の内容は直筆巻からは窺えないが、次代の水田無右衛門発行伝書こそがそのものであると考えられる。別の可能性もないとはいえないが取り敢えず水田無右衛門発行伝書の内容をいま一つの當理流の技法傳と考えて考察してゆこう。

十七本
水田無右衛門発行伝書には太刀目録が掲載され、十七本の形名が窺える。以前雑誌で取り上げた事があるが、今一度掲載して置こう。
「切入・乱入・青眼・電光・猿飛・猿廻・月影・引・車・放・廻・血・乱・貘・切甦・松風・勝麻意」
さてさて問題はこの内容なのであるが、これは一刀剣法か二刀剣法かどちらだろう?
これらは後に武蔵系や他系無二傳系に引き継がれた形名の中には殆どみることは出来ない。
感性的には新當流や陰流系の形名と同種のものを感じる。「引・車・乱」などは新當流、「青眼・猿飛・猿廻・月影」などは陰流系だろう。ただ陰流や新當流と関西の義経系、京八流は深いところでは通じていたと思われるので交差する名前があっても何も不思議ではないと思われるのである。
と言う事になるとこれらの技術は戦国期以前の極めて古い技法傳を引いたものであると考えられる。そして新當流や陰流、新陰流の技術傳は一刀剣法であるのだから、帰納法的に考えるとこの十七本の技術は一刀剣法であるのではないかと考察できる。しかし何事も即断は宜しくない。いま少し考証してみよう。
十七本の形目録の後には次の様に記載されている。
「巳上拾七ノ太刀諸流数太刀ニ常ニモチル雖実手二刀コノ内ニテトメ見□ヘキ者也」
正直なところこの文章の真意はよく分からない。「実手二刀」と言う言葉が入っていることが気になるが、だからと言って二刀系の技術とも思えない。
ただ少し後に刀のみではあるが大小両刀を十字に重ねた図があり「二刀極心・心持・開く」との書き込みがある。またこの伝書は無双流系で伝承した独特の槍穂十字十手の図が最初に描かれているところに特徴があり、安易に二刀剣法傳ではないとも言い切れない様な印象を受けるのである。

体系
安易に断定は出来ないが総合的に判断すれば記載された十七本の形は一刀剣法傳の可能性が高い様に感じられる。しかしだとして當理流剣法が普通の一刀剣法系流儀とはいわれないと思われる。……がともあれ取り敢えずは一刀剣法傳であると言う立場で考察して行こう。
となると當理流の全体像は体系として「一刀剣法十七本」「二刀剣法二十六本」「極意傳三本」「小太刀五本」と言う事になる。この体系をどう判定するかは難しい問題であり、それが各研究者の見解の分かれるところがあっても不思議ではなく、ここまで踏み込んで、敢えて「武蔵二刀剣法発明者説」をとるのだとするならば真に結構かと思うのである。ただ當理流剣法の本質を知らずして判定は如何なものだろう。

見解
ともかく當理流の体系を推定した所で、筆者の見解を述べて行きたいと思うが、推定した体系であるとするならば、正に當理流こそは二刀剣法を主体とする流儀そのものではないかと言うことを訴えたいのである。実際具体的にも二刀剣法傳の方が本数がかなり多いではないか。
実をいえば二刀剣法を主体する流儀において、二刀剣法オリンーの流儀は逆に造り難いのではないかと考察出来る。
日本剣法の基本的な立場からも、まずは一刀剣法を十二分に錬磨し、その上で二刀剣法の深い術理を学んでゆくのが学びの階梯と言う立場からも結構なのである。ゆえに現代における武蔵剣法にも多くの場合一刀剣法が付随している。次の如くである。

●山東派二天一流は「一刀剣法十二本・二刀剣法五本・小太刀七本」
●伊織傳二天一流は「一刀剣法十本・二刀剣法十本」

このような体系と當理流剣法の体系の両者をどのような解釈すればよいだろうか。本数的な立場から寧ろ當理流方が二刀剣法主体の流儀と判定出来るのではあるまいか。この点において武蔵研究者はビックリの上にビックリを重ねて頂きたいのである。武蔵を研究してゆくと本当にビックリすることが多く本当に研究者冥利に尽きることである。
武蔵が二十歳そこそこで伝書を発行し、それが完全に二刀剣法オンリーの技法傳であると言うことに加え當理流が二刀剣法主体の流儀であったと言うこと……。この二つは非常に重要な事項あると思うのである。

反説
二つの事項を並べるとやはり二刀剣法の大成した業績は宮本無二之助に帰すべきではないかと思うのである。
しかしそのように断定する前に考えることがある。まず第一は當理流にはまだまだ多くの傳があり、別に一刀剣法傳の伝書が存在するかも知れないと言うこと。
いま一つは武蔵が一刀剣法を教授したことを断定出来る第一次資料がないことである。
武蔵の資料を調べて少し不思議に思うことは武蔵が門人に発行した目録伝書が殆ど出てこないことがある。他流義、一般的には当時技法テキスト書よりも単に形名を記した目録伝書が多く発行されていたが、武蔵流(圓明流・二天一流)の目録伝書は筆者は見たことがなく、武蔵が教傳していた内容の全体像が不詳なのである。勿論武蔵と言えば江戸初頭を飾る最強の武人にして最高の文化人の一人であり、驚異の技法テキストを残した偉人なのである。しかし天才過ぎて日本の武術の伝統を超絶してしまうところがある。また武蔵は諸国行脚の武芸者であり、伝書を発行する余裕がなかったのかもしれない。
伝書は止まったところで道場を開き大勢の門人を養成する立場において必要となるもので、また伝書作成にも材料が必要となる。
しかしでは何故に『兵道鏡』や『兵法三十五箇条』『五輪書』などを残し得たかと言えば、それは武蔵の才能と宿命だろう。武蔵は宮本家兵法を突き詰め、その本体となる二刀剣法の理論化を果たし文書に残した。門人の統率よりも高い剣術技法文化を残した大変な剣客なのである。
しかしと言うことは技法傳としては目録資料が残っていないだけで一刀剣法も教授したのかも知れない訳である。武蔵の少し後の代には一刀剣法の目録が幾つか現れており、武蔵が技法傳として一刀剣法を教傳したと言う傍証となるだろう。村上系の資料『管天一笑』に二十七本の一刀剣法の目録が現れおり、肥後においても武蔵はある程度ではあるが、一刀剣法を教えたのではあるまいか。
しかし恐らく武蔵の意識はそれらは二刀剣法に至るための準備教傳と言うことであったのではあるまいか。
そして残念ながら當理流系、武蔵系と思われる一刀剣法傳もあることはあるが、それぞれの目録は余り一致していないのである。

宮本家兵法
今回は宮本兵法の本質について考察してみた。慶長期以前に各地にさまざまな流儀が勃興し、日本剣術の根幹となっていったが、宮本家兵法はその中でもかなり特殊な流儀であったことが分かるだろう。二刀剣法の技法傳をここまで大成して伝えた流儀は当時どこにもなかったのである。一刀流や新陰流などは殆ど一刀剣法流儀であったし、鹿島新當流にもなく、香取神道流には数本の形が伝承していたが、やはり一刀剣法が中心であった。念流も一刀剣法であり、ただ清眼流系にはいくらかの二刀剣法傳が存在したようである。
しかしいずれにしろ作州宮本家のような巨大な体系の二刀剣法傳を伝えた流儀は当時の日本の何處にもなかったと思われるのである。そしてそこから出た天才剣士、宮本武蔵は諸国を流浪し、各地の強豪を倒し天下に宮本家二刀兵法の法外なる戦闘力を証明した。もし武蔵が出なかったら都から遠い田舎流儀として宮本家傳二刀法も天下にそれほど知られることは無かっただろう。日本剣術における多彩な技法傳の中でも異彩を放つ不思議な二刀剣法文化が武蔵の業績によって江戸期に大きな存在となっていったわけであり、それが日本剣術をより興味深いものにしている。

理論化
武蔵の業績は極めて高いものがあり、養父が出来なかった二刀剣術の戦闘術理を纏めて理論化したことは大変なことである。また身体極意を詳細に述べたテキストとしても貴重でしある。このような理論化は新陰流系でもなされ、柳生宗矩の『兵法家傳書』に比肩されるが、同書の成立が寛永九年(1632)であり、対して『兵道鏡』は慶長十一年(1606)に発行されており、武蔵の『兵道鏡』のほうがかなり早い時期の著作である。この時期にこれだけ詳しい技法テキストは存在しなかったのではないかと思うのであり、新陰流文化よりも早い時期である事に驚嘆すべきである。ひょっとしたら宗矩は武蔵の『兵道鏡』に刺激を受けて『兵法家傳書』を完成させた可能性もある。ただ勿論武蔵の『兵道鏡』は流儀の秘伝書であり、安易には見ることは出来ないことである。しかし武蔵は同種のテキストを割合多く作成して門人に与えており、そして門人たちもレベルの高い資料であるだけに多くの写しを作成したらしく同種の資料は比較的多く残っているのである。また武蔵は新陰流の剣士たちを多く叩きのめしていることも事実であり、将軍家指南役の宗矩としても武蔵は瞠目、注視すべき人物であったのではあるまいか。だから宗矩が『兵道鏡』を密かに入手してカンニングしていたという証拠はないが、それほど武蔵の業績は画期的であったことを認識しなければならない。尾張系の資料によると武蔵の中年期には青年期の著作である同書が比較的世に知られていたという事を述べている部分がある。尾張藩士には多くの圓明流剣士がおり、新陰流と共に隆盛していたという。尾張柳生と江戸柳生との関係を考えると武蔵兵法資料が宗矩に伝えられた可能性はかなりあるのではなかろうか。何せ柳生家は忍者の家系でもあるとの説があるのだから。

ライバル
江戸初期を代表する剣豪は宮本武蔵と柳生宗矩だろう。他にも強豪は存在したが剣術文化を残した文武両道の達人として正に双璧であり、そしてお互いライバル意識を抱いていたのではないと感じられるのである。宗矩の方が十三歳ほど年上ではあったが、技法テキストの作成ということでは武蔵に遥かに水を開けられてしまったのである。実戦の実績でも武蔵は巌流を破り天下無敵の名を恣にしていたに違いない。
宗矩が武蔵をどれほど意識したかは不明だが『兵道鏡』に遅れること二十六年目についに『兵法家傳書』を著述することになるのである。それは肥後藩主細川氏にまで相伝される事となり、同藩客分の武蔵はそれを披見出来る機会を得ることが出来た可能性は高いだろう。そして藩主に乞われて『兵法三十五箇条』『五輪書』を著述し偉大なる剣術文化をこの時期に醸成させたわけである。武蔵と宗矩はよい意味でライバルであったのかも知れない。

比較
巨大な剣術文化を育んだ二人の達人の残した業績であるが、『兵道鏡』は著述された時期の速さと宮本伝兵法系の二刀剣法の技術、形体系、極意伝までを詳説したことに価値がある。しかしこの時期の武蔵は因襲的な武術古文化を未だ引きずっており、流儀の用語をある程度用い、門外漢にはかなり判りづらく、また詳細は口伝として逃げている部分があるのではないかと思う。また思想的な内容は殆どない単なる技法テキストとなっている。対する『兵法家傳書』は年齢の問題もあるが、流石に深い剣術の思想的な部分をかなり著述しており、日本伝剣術の精神文化の深い部分を窺う事が出来るのである。武蔵伝書に劣らぬ新陰流の技術伝テキストでもあり、大変に深い著述となっている。ただ技法解説に流儀の言葉を用いた流儀内秘伝書の趣をやはりとどめ、最後の部分は口伝となっており、技術解説としての普遍性に欠けると言えるだろう。また伝統的な真言秘法の妖しい部分を残した古典的な作法を崩していない。
と言って同書は流儀の秘伝書なのだからこれは当たり前の事であり、非難するには及ばない。
ただ武蔵は同書の問題点を踏まえて遂に驚くべき極意技法テキスト、『兵法三十五箇条』『五輪書』を残すことになったのである。
同二書が何よりも優れていることは、流儀言葉(そして古語、仏教語)を殆ど用いず、普遍的用語を用いて極意を詳説し、「後は口伝有り」などといった形の逃げを余り用いず(極僅かながらないわけではない)、多くは最後に「よくよく鍛練すべし」「吟味すべし」「工夫すべし」という謂で終わっており、真に具体的な極意伝テキストとなっていることである。

ファイブリングブック
青年期の秘伝書『兵道鏡』は年代的には大変な資料であり、二刀剣法の古典解説がある分、筆者などは後の著述よりも評価しているし好きな部分が多い。しかしながら晩年の著述、特に『五輪書』は普遍性という立場において絶後であり、正に画期的な業績なのである。それは単なる技法極意に止まらず細かい心の働きや心理戦法まで詳説しており、剣術書というより正に兵法書であり、ゆえにこそ「二天一流兵法」を名乗っているのだろう。
その普遍性ゆえに同所は世界に紹介されてファイブリングブックとなり高い評価を得ているのであると思うのである。正に武道極意は武道だけに止まらずあらゆる分野にも通ずであり、商売や国家交渉にまで役に立つ極意のエッセンスが詰まっているわけである。
四百年の昔は地位としては武蔵は宗矩に遥かに及ばなかったが、兵法の本質的な部分の評価としては逆転したようにも感じられ、現代では武蔵人気が遥かに高い。
ただ柳生系は新陰流と言う絶後の古典を護ってきた故に流儀として「柳生新陰流」の名前は日本剣術の中の最高である。宮本兵法系においては武蔵の人気は群を抜いて高いが流儀の内容も流名をどんどん変えた為に二天一流の名は余り現代では振るわない。

古典形
新陰流は流儀の古典形を残し、その詳細な形解説書を作成した。しかしそうした業績は武蔵の存在に刺激されてなされた可能性もあるのではなかろうか。流儀思想書としての根本経典は『兵法家伝書』であるが、柳生家は江戸初期に『五巻書』を造り流儀技術の根本テキストとした。同書は技法テキストとして絶後のものであるが、このような業績は武蔵が二十歳ほどで『兵道鏡』でなし遂げているのである。その業績が刺激となり、『兵法家伝書』に加え『五巻書』が成立したのだとしたらどうだろう。そしてこの『五巻書』という名称は武蔵の遺作、『五輪書』にかなり類似しているとは思われないだろうか。残念ながら『五巻書』の存在は未だ先行研究が殆どなく、成立年代が筆者の不勉強で確定出来ず、影響の順逆が確定できないのであるのだけれども。

絵目録
新陰流文化と武蔵兵法文化を比較すると、技法解説書、理論思想書としてはそれぞれ比肩するべきものがある。しかし新陰流を代表する業績として上泉伊勢守の代から作成されていた絵目録文化の存在がある。新陰流系は優れた色目録(色絵目録)も線目録(線絵目録)も字目録(形名目録)も様々なものを多数のこした。字目録は武蔵自身は余り作成しなかったようであるが、無二之助系では多く優れた目録伝書が作成されいる。ただ新陰流の絵目録文化は確かに絶後であり、極彩色の優れたものが残っている。匹田系では線目録も多く作成された。
武蔵の多彩な才能を考えると武蔵が絵目録を残さなかったのが、残念であり、意外である。恐らく漂白の武芸者として金銭的材料的な立場からも難しかった事と、長い修行の過程で古典形を改良し、中々古典形というものを固定化出来なかったと言うことなのではなかろうか。晩年に五法を制定した武蔵ではあるが、そのおりには既に絵目録を残す心身の力が失われていた……。
しかしながらこの様な業績は無二之助系で多くなされた。字目録は勿論、線目録は三代目荒木無人斎によってなされており、匹田系の線目録と比肩される。そして新陰流文化が到達した大名伝書、色目録の作成は鉄人流系でなされた。鉄人十手流は鍋島藩の御流儀となり、そこで新陰流文化に負けないだけの豪華な大名伝書、極彩色の優れた絵目録を多数作成しているのである。
新陰流と武蔵剣法文化はお互いのライバル意識が良い方向に働き、それぞれ驚異の剣術文化を育んだわけである。
しかし文化業績に加え武蔵は実戦を通じて人口に膾炙した点があり、一般大衆に大受けしたのだろう。武蔵は以後演劇の世界でも多く演じられた。そしてその中から現代の「合氣之術」に通じて行く驚くべき文化部分があり、後世に大層不思議な文化が生じる由因となったと思われるのである。これは未だ誰も考証したことのない真に妖しい部分である。ここまで考えると大東流の中に合氣二刀剣が存在する奥の理由が理解出来てくるわけである。筆者における武蔵研究はこれから演劇資料にも及んで行く予定があり、真実追求の立場からもやらねばならない作業であると思う。現在武蔵研究書は多くとも殆どが孫引き継ぎ接ぎ書ばかりで真実が逆にぼかされいるのではないかと思うのである。その分別にどうしても必要な作業であるが、ここに至ると色々不思議な部分が出てくることは事実である。

 


新陰流と宮本古伝兵法
上泉伊勢守
柳生石舟斎   宮本無二之助

柳生宗矩    宮本武蔵

『兵法家傳書』    『兵道鏡』
           『兵法三十五箇条』
            『五輪書』
『五巻書』

字目録      無二之助『字目録』
匹田系線目録   荒木無人斎『線目録』
色目録      鉄人流系『色目録』

[古流柔術月例会々報題百七十五回]

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