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●第三ラウンド「作州派」

最近の武蔵研究著作をみてみると播州派がどうも多いようである。両説を紹介して本もあるようであるが、単に(間違いだらけの)先行著作の一部の孫引き書ばかりであり、むしろ資料を集めて新たな研究をなしている著作は播州派、もしくは播州よりの主張が多い。

ある研究者が「まともな研究者は殆ど播州説派である」と説明していた。しかし今の武蔵研究界にまともな研究者があるかどうかが問題であって、これは正直な所、殆どいないと思う。

大部の研究書も何冊かでたようであるが、それらに業績的な良さが全くないとは言わないが論説はかなりの偏見と誤謬を含んでおり如何なものかと思うのである。

ただ少し疑問に思うのは作州には昔はなかった宮本武蔵駅が出来て、大武道館が出来て、武蔵資料館までありながら、発行される研究著作(俗気本は省略する)は殆ど播州説派であり、それに殆ど反論著作がないことは疑問であった。

大原宮本には多くの資料があるのであるから反論することはそれほど困難ではないと思えるのに大変に不思議である……。しかしそれは決してそうではなかった。その話をこれからしよう。

 

●「三十二年ぶり」

とにかく根元資料がないと話しにならないので、一月十六日に作州宮本村に資料を求めて訪れることした。管理人もなんと三十二年ふりの来訪なのである。三十二年前には佐用からかなり歩いて山越えしてたどり着いたかと思うが現在は宮本武蔵駅(!)までが出来て案内札がたち、行き着くのが真に簡単となった。

調査の詳細はべつに報告するとして(本文目次の項目に入れておいた)、大原村役場から紹介された武蔵研究者の平尾正裕先生にお会いして、先生が共著で発行された『宮本武蔵を考える』を頂くことができた。。平成15年発行であるから最新刊である。ただし私家版で一般には殆ど流通していないようである。

 

●『宮本武蔵を考える』

同書は平尾正裕先生と新免義隆先生、船曳正弘先生の共著である。管理人の疑問や質問に対して平尾先生から船曳先生の論文を案内頂いたのであるが、その日の帰りの電車の中で読むことができた。

ところがこれは非常に正論であり、また筆者の論と図らずにかなり類似した考え方であると感じられた。ちゃんと作州には作州説を論理的に解説する方がいらっしゃったのである。ただ机上研究をしながら人の業績、成果の盗説と剽窃ばかり考えている中央の研究者の本が市場に多く顕れているのみなだということに気づかされた。

船曳論文の内容に就いて管理人の考えをいま少し深く述べてみたい。

 

●妥当性

播州説を称える方の論説は最近も大分みたが正直な所余りにも論が粗く、また強引であると感じられる。それが原因でこの管理人もこのホームページを立ちあげることとなったとも言えるのである。

対して船曳先生の武蔵論文は大体においては非常に妥当性のある論説と感じられた。

実際の所、本当に真摯に資料に向かえばこの様な捉え方がほぼ正統であると筆者は正直に思うのである。管理人の論にもかなり近く、しかも管理人が気づかなかった、大変に深い洞察も窺える。よって管理人の論の補説ともなっている。
勿論細かい点においては管理人と違う意見もあるし、また明らかな誤りも多いが、この誤りの部分の多くは武術系の論説であり、これは船曳先生も専門でないために多く誤解している部分があることは致し方ない。
そして少し感情的な著述もあり、しかもそれが作州大原生まれの方である為に読者に誤解を生む可能性があるのではないかとも思われこれが少し残念である。
しかしそれを越えて論説の根元は非常に妥当性と客観性がある良い考察かと思ったのである。
褒める部分は褒める部分としてまたあとで顕彰と検証をなすとして逆に管理人が少し可笑しいかと思える部分から採り上げることとしよう。

●「疑問点・問題点」
船曳論文は二つある。「五輪書序文を斬る」と「宮本武蔵からの伝言」である。先ず「五輪書序文を斬る」から問題点を抽出してみる。
@二百二ページの論説は結論は賛成で、名乗り方の違いから両者の著者の相違は感得できる。ただ武蔵は嘗ては藤原も武蔵守を名乗っていたようである。年代的にはこれは自称であり、邪でも問題もなかったと思われる。ただ五輪書成立期くらいは大分うるさく言われるようになり、省くようになったかもしれない。
A外記之介事件における当事者を平田武仁として論じているが、年代的にも記述的にも平尾(宮本)無二のことであると考えられる。故に年代のごまかし等の論は無意味であるかと思います。管理人の論文では平田系を武仁、平尾系を無二として表現し、分別するようにしている。
B「播州英産」の解釈問題については字句的な意味合いにおいては異議はないが、漢文は中国語であり、和語への翻訳、和語から漢文へ変換には法則はないわけではないが微細な齟齬が生ずることがあることは一般的である。
この様な解釈でも(一つの考え方として)構わないが単純に武蔵の生国については伊織は記憶が曖昧であったとすれば良いかと思います。とはいえ漢文としての法則があることはあるのであるから、この様な分析は是非とも必要であり、一つの業績であると思います。
C十三歳勝負という点はご指摘の通りで、これは非常な問題点であると思います。ただ一つの仮説として武蔵は自己の年を二、三年誤解していたのではないかという立場を管理人は取っており、十六歳位ならばこれはありえることであると武道家の立場として考えます。英才教育を受けた天才の技とは本当に素晴らしいものがあり、柔道の大会などでも高校一年位の天才ルーキーが大人の有段者を見事に投げ飛ばすことはありえることです。その様な天才少年が後のオリンピックのメダリストとなったりするわけです。
D年齢問題についてはまた別枠で検討したいと思いますが、「としつもって六十」についての考察があり、中々に鋭い洞察かと思いますが、序文の著述の成立に関する問題、異論、つまり別人の付加説が前提としてあるわけですから余り意味がないかもしれません。
E序文の作成に関してはかなり異説があり、難しい問題を含みます。修辞の問題などの指摘は大変に深い洞察であると思い、耳を傾けたいと思います。原文はあったのではないかという気もしますが、ただ自己の戦歴を述べたことは自慢しているのではなく、淡々と事実を語っているのではないかと思い、管理人としては共感を覚えます。その意味で原文、元文はあったように感じられ、それが、改文されて纏められたのかも分かりません。

F武蔵と武蔵守の問題や修辞、リズムの違いの問題点は確かに注目点です。序文では「二天一流」を使っていますが、本文は殆ど「二刀一流」但し本文でも「二天一流」の箇所もあり、このような点も含めて検討してゆきたいと思います。

 

●「武蔵からの伝言」

次に「武蔵からの伝聞」について感じたこと。
@259頁に「三尺ほどの鉄棒の先に鉤が十本ほど付いた捕縛用の武器で……」
こうした解釈の原典が不詳です。無二斎の十手に就いては管理人自身十六年程に渡って何度も論文を書き考証してきた所であり、この論には賛成できない。
A武蔵が十手を脇差しに変えて二刀剣法を編んだという論であるが、二刀剣法は無二斎が既に行っており、武蔵の発明、工夫ではないと考える。
B平田武仁と平尾無二との分別が曖昧かと感じられる部分がある。
C養子先が筑前秋月城では遠すぎて可笑しいという部分があるが、泊棟札の記述は記憶の曖昧さから胡乱な記述となっており、養子先の宮本無二斎は慶長5年までは作州宮本村にいたと考えられます。
D養子の妥当性や状況については色々なことが考えられるが少しここに感情的な論説がみられる。
E泊棟札文を伊織撰文ではないとするが、これは少し勇み足と感じられる。神免という謂も誤りとは言えない。この様な同意同音の文字替えは日本の伝統でよく行われることである。漢字は日本語ではないから当たり前のことであり、これは万葉集からの伝統だと思う。文の内容は確かに胡乱と言えば胡乱。これは記憶が曖昧なので、この様な表現となったのだと考えます。
F「秋月城で卒したのは新免宗貫……」という文言があるが、天正の間に亡くなったのは平田武仁であり、秋月城云々は宮本無二であり、両者を混乱していると管理人は考察します。そして宮本無二は(恐らく)秋月城で亡くなったのではないかと思います。ただこれは管理人の論なので、また機会を設けて再考したいと思います。
G泊文書に(恐らく)新免宗貫は関係ないと思います。

 

以上管理人の考えと異質な部分を採り上げ、感じたまま述べましたが全体を通じては大変に優れた論文と思います。特に優れた洞察と業績を思える部分を次にあげる……。

 

●「五輪書序文を斬る」の内容と業績
五輪書の序文(正しくは地之巻冒頭部分。文章的に分断しており、序文として捉えられることが多く本文も序文で表現する)の修辞や内容から武蔵の記述ではないとするのが内容である。
論文は妥当な記述であり、確かに本文と序文には文章的な隔たりが感じられる。

ただ筆者も別人の作成説も採り上げているが、特に文章の分別による状況証拠的な考察はできなかった。
この問題に関しては魚住氏が著書で少し考証している。何故に序文が付加されたとの論が出るかと言えば『武公伝』に「(五輪書)の序は竜田山泰勝寺春山和尚に推敲を乞ふ」とあるからであるが、魚住氏はこの「序」とは『五方之太刀之道』のことであるとする。その根拠は『五方の太刀道』の注釈書に同文があるからとする。
これも一論であるが、状況証拠であり、だからといって『武公伝』の記述が必ずしも『五方之太刀道』であったという証明はならないと言える。
『五方之太刀道』がそうであったように『五輪書』の序文はこの僧(春山和尚であるが、大淵のことであると魚住氏は考証しているが、この点は何方でも武蔵の本質には関係ないので触れない)にやはり推敲を乞うた可能性はあるだろう。ただ推敲し、良い文章となり、受け取った武蔵がまた校正するしたら間違った文意の文章とはならないだろう。
しかし『武公伝』の著述を別として『五輪書』の序を僧が手を加えた可能性はあるかもしれない。『五方之太刀道』を校正したように、武蔵の死後頼まれて五輪書の纏めあげに携わったかもしれないのである。船曳先生がご指摘されているように序は本文とは文章の趣が違うのでだから。
想像すると本来の五輪書には序文はなく、別に序文の草案はあったが、それをまた一巻とすると六輪書になってしまい、五大思想にもとるので、文章量からも地の巻の冒頭にもってきたという想定はできる。
船曳先生の論は一つの可能性としても良い論である。
筆者自身は武蔵意識の胡乱さや齟齬を含めてもっと色々な可能性を想定して置きたいと考えている。

 

●「業績」
船曳先生の論のいま一つの目玉は小倉碑文の「方年十三而始至播州」の部分の解釈に付いて論じてる部分である。既に述べたようにある播州派の研究会はここの部分を「方に年十三にして、始めに、播рノ到りし新當流有馬喜兵衛なる者と進みて雌雄を決し、忽ち勝利を得たり」の最初の部分として紹介しているのである。研究会は漢文読解法の立場から述べおり、それに対して異議を出すには漢文読解の高い知識が必要である。しかし日本の漢文というものは妥当性を含めて割合いい加減な部分、そして正解はなく、何方でもに取られるように書く場合ですらある。
とにかく妥当性ということは重要である。
ところが此処で船曳先生は小倉宮本家八代目が作った、小倉碑文の碑文写しを提出しており、それでは「方に十三にして始めて播州に至り」と明確に書いているのである。これは驚くべきことであり、江戸期の(そして何方か言えば播州説を決定的にした宮本家系図を作成した張本人である)武人がそのように読んでいるということは重要である。口伝承があった可能性もあるし、それがなくともかく読むことへの妥当性があったことを顕している。そして文章の流れからもそのように読むことに妥当性があることを船曳先生は考証されているのである。この洞察には筆者も脱帽であり、賛成したいと思う。

 

●「武蔵からの伝言」の業績
宮本家系図をソフト面は勿論、実物のハード面からその造りの齟齬を指摘している。その洞察力は素晴らしいく、なるほどと関心させられる。筆者も宮本家系図は幕末の作り直しであり、内容は胡乱なりという立場で論じてきたが、その齟齬が生じた原因まで推理されているのである。内容的には強引な説ではなく、妥当な想定であると思う。
いずれにしろ泊文書に武蔵田原系説が出てきていない以上は宮本文献に誤謬があると捉えるのが自然であると考える。

 

●『播磨鏡』に対する考察

『宮本武蔵を考える』発行の少しあと、船曳論文だけを取り出して『武蔵からの伝言』という私家版が発行されいる。内容は殆ど同じであるか、最後の章に『播磨鏡』の問題が論じられいる。同書の内容分析も筆者の考え方と大体は似ており、「播州産まれ」「宮本村出身」という情報によって生誕地を確定したのではないかという論である。この点までは管理人も考証したが、船曳論文はいま少し同書を読み込み、著者平野氏の同著述の自信の無さを指摘している。即ち同書に「此宮本武蔵こと、佐用郡平福の住・風水翁の説と相違有り、別書に之を記す」とある点を採り上げ、播州宮本村出生説を確定的に述べることができないかった為と指摘しているのである。確かに平野氏の揺れる心が分かるし、播州宮本産まれを確信できていなかったことになる。同説を否定する新たな根拠、補説になると思う。

 

●総論

とにかく多少の胡乱な部分もあるが、船曳論文は全体を通じては大変に優れており、非常に妥当にして正統な解釈であると感じる。現在發行されている武蔵論文の生誕地論の中では出色の論文であり、基本的な解釈には賛意を表したいと思う。

 

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