●2月1日「謎の資料」
青木鉄人金家系には少し不思議な資料があり、『円明実手流家譜并師系』というものであるが、かなり不思議な情報が盛り沢山というものの資料としてどの程度信用できるかという問題がある。この資料は宮本家を河内の神職として古い伝統ある家とおき、宮本家の祖先を詳しく書いているが、初見の人脈が多く、殆ど他資料から確認できないという問題がある。しかし勿論戦国期の話しであり、当時の資料が残らぬのも無理はないめんはあるだろう。しかしだとすると作州の平田氏や平尾系の無二は武蔵父としての存在では無くなる事になる。これは大きな問題だろう。この点を少し考えてみよう。
●無二の正体
これは無二の正体、その本質に関わる問題である。武蔵の父は宮本無二斎一真と称し勿論実在の人物である。四通ほどの直筆と思われる武術伝書が確認されており、実在は間違いない。姓名にも余りな齟齬はない。殆ど間違いなくこの伝書発行者の無二斎が武蔵の父(養父の可能性あり)だろう。そしてこの武士は江戸初期には黒田藩に仕え、当時の資料に「播州 新目無二」と記載されている人物に殆ど間違いないだろう。だとするとこれはやはり作州宮本村出身の無二斎の可能性が高く、播州にいた河内神職の祖先を持つ『家譜』の無二之助とは矛盾が生ずる。
なんとなれば「新目」とは勿論「新免」の誤記であり、作州の顕氏、新免家をあらわす。作州新免家に仕えていたのは平田氏と平尾氏である。河内宮本系の無二之助には新免家との関わりは出て来ない。伊織の泊棟札にも「作州の顕氏、神免無二」という下りがあり、作州系の無二斎である。
●年齢
河内無二は元和八年(1622)53歳没でということは1570年が生年となる。武蔵生誕のおり(1582前後)のおりは十代前半となり、養子に迎えるのも少し不自然である。ただこの享年は平田武仁と同じであり、この点は平田氏になずらえたのか少し不思議である。
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