●二月一日「疑問」
武蔵の門人に竹村與右衛門なるものがいて、尾張で剣法を指南したと言う記録がある。しかしこの人物は武蔵の義兄の平尾(宮本)與右衛門であったという説がある。正しいのだろうか。いや少し苦しいように感じられる。姓が先ず違うし宮本村の記録では與右衛門が地元を離れて剣法指南をしたという記録がない。ただ武蔵は一時期「竹村」姓を名乗っていたいう記録があり、その意味では竹村姓も全く関係がないとは言えなくなる。また武蔵は「森」姓を名乗っていたの可能性を示す伝書が存在するが、しかし「森」姓の出何処は不詳である。ともかくこの論を少し論証してみたい……。
●論説錯綜
多くの説があり、よく分からない。一説では竹村與右衛門玄利は中村三右衛門の子とある。しかし何故に中村が竹村となるのだろう。また武蔵が竹村と名乗った理由もよく分からない。これでは親子の順逆が逆である。ともかく平尾系の與右衛門の諱は景貞であり、同一人とは思えない。しかし勿論諱も変わることはある。ただ客観的にみて姓を変えて尾張に移るとなると地元(作州宮本村)で宮本(平尾)家を継ぐことができないだろう。宮本村古文献と矛盾すると感じられる。
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